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「新政府総理大臣」のライブ。

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
(2012/05/18)
坂口 恭平

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2012年6月18日(月)、坂口恭平新政府総理トークショー@スタンダードブックストア心斎橋。

まずは『独立国家のつくりかた』から引用を。

・僕は独立国家をつくったのだ。自分の人生をただ自分の手でどこにも属さずつくりあげている。僕はそういう人間だ。
・もうすでに僕たちは絶望的な社会、政府のもとで生きていたのだ。政治が悪い、社会環境が悪いと僕たちは文句を言っているが、その一方で別にまだ生きるか死ぬかの問題でもないと思っているので、積極的には何も変えようとしない。
・政治や行政というのは命を助けてくれる機関ではない・・・匿名化されたシステムなので、そこに人間の感情というものは期待できない。命にかかわる対応は「感情」がないとできないのである。
・僕たちが「考える」ことを拒否するから、政治や行政は暴走するのである。故障するのである。それに気付いても止めることができず「命」を疎かにするのである。
・まず僕たちはもともと狂っているのだ。そこから始めたい。
・普通に考えよう。常識というものは、文句を言わないようにというおまじないである。まずは、そのおまじないから解放される必要がある。おまじないからの解放は、「考える」という抑制によって実現する。
・35年ローンで家を持った人に会って、なぜ自分が勤めている会社が三十五年もこの最悪の日本の経済状態で生き残れると思えるのですか? その論理的根拠はなんですか? と聞いても、誰も答えてくれない・・・だから、僕はもう直接言うのはやめた。考えない人に考えた結果を教えても、たいていうまくいかないのだ。邪魔をするなと言われてしまう。そんな非論理的な行為でこの世は埋め尽くされている。
・別に論理的に問題がないのではなく、ただ面倒くさいから考えないだけなのだ・・・「問題がない」のではなく、「問題」と見なしたら大変だから、「問題がないことにしている」だけ。見て見ぬ振りをする、臭いものに蓋をする。

このような「普通」かつ「切実」なことば。そして、他方で次のようにも述べるところに、他の本・著者と違って「本当に自ら考えたんだな」と率直に感じました。

脱原発はもちろんけっこうだが、それは実は脱政府であり、脱会社ということになると思う。会社をつぶさないと銀行がつぶれない、政府もつぶれない。そうしないと原発はなくならない(そこまでやっても原発がなくなるかわからないけれど)。そんなことできますか?
僕はすぐに断定した。
できっこない。
だから、違うレイヤーに新しい政府をつくった。だから、熊本に行った。現政府はつぶれない。民主党政権が自民党になろうが共産党になろうが変わらない。アメリカが変えてくれるわけでもない。だから、僕は蜂起することにした。無視という蜂起。逃げるという蜂起。独立するという蜂起。


さて、心斎橋のトークショー。
「独立国家をつくった」なんて聞くと、「確かに面白そうだけど、ほんと常軌を逸した行動だ」と(無意識に)思っていました。しかし話を聞いて、そういう私の当初の印象はなくなりました。むしろ、この「独立国家」の発想は全くアブノーマルではない、と思い直すしかなかったです。

逆に、思いっ切り突きつけられました。「現政府の下、己をノーマルだと思っている俺(お前)の方こそアブノーマルじゃねえのか」っていう、どうしようもない疑問を。

そして、周りのお客さんがけっこうな笑いに包まれてる中、私は「これからは苛酷で厳しい世界を生きなきゃいけないんだな」と内心、危機感すら覚えてしまいました。

程度の差こそあれ、我々全てが次のような二項対立の範囲のどこかに存在していること。

考える者/考えない者
当事者/傍観者
無視できる者/無視できない者
逃げられる者/逃げられない者
独立できる者/独立できない者
生き生きとしてる者/死んだようにしか生きられない者
生きのびる者/生きのびられない者


今まであいまいにごまかされてきた「安心(偽り)」から、苛酷で生々しい「現実」へ。

あなたにも出来ますよ あなたには出来ません
俺の真似をすればいい お前に俺の真似は出来ない
お前と俺とは同じだ お前と俺とは違う
お前と俺とは同一平面上だ お前と俺とは同一平面上にはいない


そして、そういう生々しくて残酷にも見える現実に向き合わざるを得ない一人一人の「自分」。

自分で考えろ!
お前が考えろ!
命懸けで考えろ!


もう「匿名化されたシステム」のなかで、皆が一律一様の生活を送ることなどできない。
しかもそんな「システム」のなかでは、命すら容易に疎かにされる。そんな「システム」に頼って生きていたいのか。
一方で「何の庇護も保証もない現実」に出たら、どうやって生き抜いていけばいいのか。
「私の生き方」など誰も教えてくれず、かといって人の真似をした時点ですでに間違っている。

「思考停止」でも生きていけた夢のような世界から、「考える」ことなしには生きのびることすらできない現実へ。
しかし、その現実のなかでは、小さく、弱く、苦しく、不自由で孤独な自分と向き合わざるを得ない。
そして、それ即ち、生きることの本当の苦しみと向き合わざるを得ないことをも意味する・・・


まどろみから覚醒することを余儀なくされるような、「システム」に安住する己を根底から揺り動かすような、そんな苛酷でおののくような「生の現実」をひしひしと感じるトークショーでした(私の個人的感覚では)。

しかし、こういう「苛酷な現実」を直視してこそ、次のような言葉が胸に響くようにもなるのだとよくわかりました。

必要とされること、それこそが生きのびるための技術なのだ。必要な人が、もしも体調を崩したら大変だ。だから人は日頃から大事にする。それが人間関係である。必要な人というのは、別に何か専門的な技術を持っているのかどうかは関係ない。それよりも一緒にいたいと思う人のことを指す。

『独立国家のつくりかた』・エピローグのタイトルは「僕たちは一人ではない」

「考えなければ、生きのびることなどできない」だけでなく、
「困った人がいたら助ける」
このどちらもあるからこそ、これだけ多くの人の心が動かされているのだと思います。
隠されて見えなくなっている、厳しく生々しい現実を突きつけるだけじゃなく、「感情」と「温度」に溢れた、生き生きとしたメッセージで他人(自分)を救う「芸術」


そういう「温かさ」が少しでも伝わるように、最後は坂口恭平さんの歌声を。



 
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  1. 2012/06/22(金) 19:24:43|
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