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[REVIEW]グレート・ギャツビー

 
愛蔵版 グレート・ギャツビー愛蔵版 グレート・ギャツビー
(2006/11)
フランシス・スコット フィッツジェラルド、村上春樹 他

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VALUE:★★★★☆

 理念ideaは、暴力性を秘めた時の流れのなかで、いつしか見果てぬ“陶酔”となって、人を哀しいほどに感傷的にさせたり、ときには目を覆うほどに無思慮にさせたりするものなのだ。そして、その“陶酔”は、非常に無責任であったり、ときにとても哂えない滑稽さを備えていたり、どれだけ人が哀しいほどに有限であるかを知らしめたりする。
 しかし、本当にごく限られた一部の人間は、そんなどうしようもない悲哀になど無縁なのだ。

 理念というものは、一方で、劣等や欠落、喪失の感情と隣合せである。我々はまさに、「過去へと押し戻されながらも」「前へ前へと進み続けるのだ」。
 けれども、本当にごく限られた一部の人間(もちろんここではギャツビーのことだ)は、喪われた過去すらも再現できると尋常でなく信じ、強い夢想へと駆り立てられる。

誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ
世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと


 この言葉のなかにも、実は「基本的な不誠実さ」はかくされているのだけれど、しかし、確かに「人は誰しも自分のことを、何かひとつくらいは美徳を備えた存在である」と考えるもので、それは、人によっては「特殊な社会societyに属している」ことでもあれば、「世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ」ということでもありうる。
 だから、美徳を備える、ということは、ある種の不誠実さを抱え込むことでもあるのだ。ただ、若しもそのおかげで、世の中の数限りなき酷いことについて我々が“赦し”“赦される”ことがあったとすれば、それは褒められるべきことではないのか?

 ギャツビーは、何故“Great”なのだろう。その疑問が、読み終わった後も、ずっと気に掛かっていた。
 主人公は言う。「そう―ギャツビーは最後の最後に、彼が人としてまっすぐであったことを僕に示してくれた」と。これを言い換えると、こうなるだろうか。

そう―ギャツビーは最後の最後まで、彼の、つつましくも希望に満ちた理念に向かって、まっすぐに進み続けていたのだ。たとえそれが命を差し出すことになろうとも。

 彼は最後まで、自分の最愛の人間が犯した罪を明るみに出さなかった。命を代償として。(銃を向けられたときでさえ、彼はきっと口を閉ざし続けたのであろう。)だから、「僕に何が言えよう。真相はそうじゃないとは、口が裂けても言えないのだから」としか、語りえないのだ。その暴露は、彼の理念を、まさに彼が命をかけてまで貫いた誇り高き理念を、汚すことになるのだから。

 彼は、最後までギャツビーで在り続けた。しかし、そのことを引き合いに出して他の誰かのことを批判することはできないだろう。まさしく「世間のすべての人が、“彼”のように恵まれた条件を与えられたわけではない」し、それ故に彼は“Great”なのだから。


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  1. 2012/08/17(金) 05:03:37|
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