「FP弁護士」を目指す無職のブログ

法&ファイナンスで独立のライフサポートを行う「FP(ファイナンシャルプランナー)弁護士」を目指しています。

【人生でやりたいこと】(ブログ趣旨)

現時点の、これからやって行きたい仕事・実現したい志です。自己紹介の一環として。(カンタンな経歴は左記プロフご覧下さい。)
主に下記のテーマでブログを書きたいと思ってます。こんなことに興味のある方・何となく気になる方は、ブログ左側のTwitter、メールフォーム等でメッセージお待ちしてま~す。

  1. 1.お客様の現在から老後までの生活を戦略的に考える【ファイナンシャルプランナー業・個人向け】
  2. 2.お客様のあらゆるトラブルを上手に予防・解決する【弁護士業(予定)・個人向け】
  3. 3.民主主義の「アップデート版」をつくる【趣味・社会全体】
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※ これだけでは意味が分からないので、ちょっとずつ詳しくする予定です…。

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「新政府総理大臣」のライブ。

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
(2012/05/18)
坂口 恭平

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2012年6月18日(月)、坂口恭平新政府総理トークショー@スタンダードブックストア心斎橋。

まずは『独立国家のつくりかた』から引用を。

・僕は独立国家をつくったのだ。自分の人生をただ自分の手でどこにも属さずつくりあげている。僕はそういう人間だ。
・もうすでに僕たちは絶望的な社会、政府のもとで生きていたのだ。政治が悪い、社会環境が悪いと僕たちは文句を言っているが、その一方で別にまだ生きるか死ぬかの問題でもないと思っているので、積極的には何も変えようとしない。
・政治や行政というのは命を助けてくれる機関ではない・・・匿名化されたシステムなので、そこに人間の感情というものは期待できない。命にかかわる対応は「感情」がないとできないのである。
・僕たちが「考える」ことを拒否するから、政治や行政は暴走するのである。故障するのである。それに気付いても止めることができず「命」を疎かにするのである。
・まず僕たちはもともと狂っているのだ。そこから始めたい。
・普通に考えよう。常識というものは、文句を言わないようにというおまじないである。まずは、そのおまじないから解放される必要がある。おまじないからの解放は、「考える」という抑制によって実現する。
・35年ローンで家を持った人に会って、なぜ自分が勤めている会社が三十五年もこの最悪の日本の経済状態で生き残れると思えるのですか? その論理的根拠はなんですか? と聞いても、誰も答えてくれない・・・だから、僕はもう直接言うのはやめた。考えない人に考えた結果を教えても、たいていうまくいかないのだ。邪魔をするなと言われてしまう。そんな非論理的な行為でこの世は埋め尽くされている。
・別に論理的に問題がないのではなく、ただ面倒くさいから考えないだけなのだ・・・「問題がない」のではなく、「問題」と見なしたら大変だから、「問題がないことにしている」だけ。見て見ぬ振りをする、臭いものに蓋をする。

このような「普通」かつ「切実」なことば。そして、他方で次のようにも述べるところに、他の本・著者と違って「本当に自ら考えたんだな」と率直に感じました。

脱原発はもちろんけっこうだが、それは実は脱政府であり、脱会社ということになると思う。会社をつぶさないと銀行がつぶれない、政府もつぶれない。そうしないと原発はなくならない(そこまでやっても原発がなくなるかわからないけれど)。そんなことできますか?
僕はすぐに断定した。
できっこない。
だから、違うレイヤーに新しい政府をつくった。だから、熊本に行った。現政府はつぶれない。民主党政権が自民党になろうが共産党になろうが変わらない。アメリカが変えてくれるわけでもない。だから、僕は蜂起することにした。無視という蜂起。逃げるという蜂起。独立するという蜂起。


さて、心斎橋のトークショー。
「独立国家をつくった」なんて聞くと、「確かに面白そうだけど、ほんと常軌を逸した行動だ」と(無意識に)思っていました。しかし話を聞いて、そういう私の当初の印象はなくなりました。むしろ、この「独立国家」の発想は全くアブノーマルではない、と思い直すしかなかったです。

逆に、思いっ切り突きつけられました。「現政府の下、己をノーマルだと思っている俺(お前)の方こそアブノーマルじゃねえのか」っていう、どうしようもない疑問を。

そして、周りのお客さんがけっこうな笑いに包まれてる中、私は「これからは苛酷で厳しい世界を生きなきゃいけないんだな」と内心、危機感すら覚えてしまいました。

程度の差こそあれ、我々全てが次のような二項対立の範囲のどこかに存在していること。

考える者/考えない者
当事者/傍観者
無視できる者/無視できない者
逃げられる者/逃げられない者
独立できる者/独立できない者
生き生きとしてる者/死んだようにしか生きられない者
生きのびる者/生きのびられない者


今まであいまいにごまかされてきた「安心(偽り)」から、苛酷で生々しい「現実」へ。

あなたにも出来ますよ あなたには出来ません
俺の真似をすればいい お前に俺の真似は出来ない
お前と俺とは同じだ お前と俺とは違う
お前と俺とは同一平面上だ お前と俺とは同一平面上にはいない


そして、そういう生々しくて残酷にも見える現実に向き合わざるを得ない一人一人の「自分」。

自分で考えろ!
お前が考えろ!
命懸けで考えろ!


もう「匿名化されたシステム」のなかで、皆が一律一様の生活を送ることなどできない。
しかもそんな「システム」のなかでは、命すら容易に疎かにされる。そんな「システム」に頼って生きていたいのか。
一方で「何の庇護も保証もない現実」に出たら、どうやって生き抜いていけばいいのか。
「私の生き方」など誰も教えてくれず、かといって人の真似をした時点ですでに間違っている。

「思考停止」でも生きていけた夢のような世界から、「考える」ことなしには生きのびることすらできない現実へ。
しかし、その現実のなかでは、小さく、弱く、苦しく、不自由で孤独な自分と向き合わざるを得ない。
そして、それ即ち、生きることの本当の苦しみと向き合わざるを得ないことをも意味する・・・


まどろみから覚醒することを余儀なくされるような、「システム」に安住する己を根底から揺り動かすような、そんな苛酷でおののくような「生の現実」をひしひしと感じるトークショーでした(私の個人的感覚では)。

しかし、こういう「苛酷な現実」を直視してこそ、次のような言葉が胸に響くようにもなるのだとよくわかりました。

必要とされること、それこそが生きのびるための技術なのだ。必要な人が、もしも体調を崩したら大変だ。だから人は日頃から大事にする。それが人間関係である。必要な人というのは、別に何か専門的な技術を持っているのかどうかは関係ない。それよりも一緒にいたいと思う人のことを指す。

『独立国家のつくりかた』・エピローグのタイトルは「僕たちは一人ではない」

「考えなければ、生きのびることなどできない」だけでなく、
「困った人がいたら助ける」
このどちらもあるからこそ、これだけ多くの人の心が動かされているのだと思います。
隠されて見えなくなっている、厳しく生々しい現実を突きつけるだけじゃなく、「感情」と「温度」に溢れた、生き生きとしたメッセージで他人(自分)を救う「芸術」


そういう「温かさ」が少しでも伝わるように、最後は坂口恭平さんの歌声を。



 
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  1. 2012/06/22(金) 19:24:43|
  2. 日記
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[REVIEW]『いのちの子ども』



VALUE:★★★☆☆
★★★★★:最高の一作=後世に残すべき
★★★★☆:スゴイ=目からウロコ
★★★☆☆:良い=一見の価値あり
★★☆☆☆:無価値=中身無し
★☆☆☆☆:有害=二度と映画を作らないでほしい



【以前mixi日記に書いたレビューを転載】

ガザ地区に居住するパレスチナ人(アラブ人)の赤ん坊を難病から救おうとする人々を、イスラエル人(ユダヤ人)ジャーナリストが追いかけたドキュメンタリー。


基本的にはヒューマニズムを訴える映画に思える。

しかし、イスラエル人ジャーナリストが、難病を抱える赤ん坊を産んだパレスチナ人の母親にインタビューするシーンにこそ、観るべき価値がある。


パレスチナ人の母親は、対立の回避の為に「エルサレムを分けたらどうか?」とのジャーナリストの問いかけに対し、断固として否定を繰り返した。

エルサレムは、アラブ人のものであって、ユダヤ人のものではない。

そう繰り返し、次のシーンにこう述べた。
私の子どもは、難病から救われた後、エルサレムの為に殉教者になるだろう、と。


子どものいのちを必死に救おうと尽くす母親でさえ、神の為にいのちを捨てさせることはいとわない。

殉教者にする為にいのちを救う」という考えに、宗教も民族も違う子どもを救おうと奔走していたジャーナリストは耐えられなくなり、怒りを覚える。


最終的に民族対立や宗教対立については、曖昧なまま映画は終わる。
映画を作ったジャーナリストは、母親が改心したかのように結論付けているが、母親の内心はほとんど変わっていないのでないか、そう思えてならない。


・ ことば(論理)で超えられないもの

神>いのち” という価値観をもつ者に対して、ことばで覆そうとすることは無意味でないか。

一神教を信じる者が「神のためにいのちを捨てよう」とすることは、どこにも矛盾が無く、論理的に一貫した合理主義的な態度である。
(参考:ふしぎなキリスト教


しかしそう考えると、突き詰めていけばイスラエルとパレスチナのどちらかの民が滅びない限り、エルサレムの帰属問題は解決不可能である、ということになる。

ただ、それがもし現実化しても、もはや「解決」と呼べるような結果ではない。



・ 承認、赦し、アイデンティティのアップデート

パレスチナ問題の何が悪いことなのか。「対立」が悪いことなのか。
悪いことは、「対立」でなく「暴力」だと考える。
目的の問題でなく、手段の問題と考えれば、徹底的に排斥すべきは「暴力」の行使である。

しかし、「対立」しながら(より良くは「対立」の解消に至ることだが)、 「殺さない」「傷つけない」と努めることは可能だろうか。


「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが数年前、取り沙汰されたことがある。

「法律があるから」「社会的に非難されるから」、こういう合理的な理由で人が人を殺さないわけではない。

そうではなく、人が人を殺さないのは「殺せない」から、である。
(参考:『人生の教科書[よのなかのルール]』)

人は、コミュニケーションを通じて他人から肯定されることで、つまり“承認”を通じることで、自分の尊厳を養っていく。
自分を肯定し形作る他人を殺すこと=自分を殺すこと。
だから、もはや自分の中に、他人を「殺せない」自分が埋め込まれてるようなものだ。

「殺さない」「傷つけない」ことを実現させるには、「殺せない」「傷つけられない」ようにするしかない。内発的なメカニズムが必要なはずである。



次に、“赦し”“アイデンティティのアップデート”について。
(参考:『文明の内なる衝突』

9.11に対して、「軍事介入」を以て対抗するのではなく、「徹底した大規模な援助」を行うべきだった、と断ずる論がある。
つまり、「罰する」「償わせる=奪う」のでなく、「赦す」「喜捨=与える」べきだった、という意味である。

こんな援助は、「善」「正義」から結論付けることはできない。
「善」や「正義」からすれば、テロリストは罰して当然だからだ。

それでも「赦す」なら、それまでの「善」「正義」を放棄しなければならない。

つまり、その時点まではとうてい赦すことが不可能なことを赦す、ということを意味する。

「善」や「正義」は、各人のアイデンティティを定義している。

しかし、アイデンティティの中核的な「善」「正義」を放棄し、「赦す」とき、 赦す側と赦される側のアイデンティティは結果的に変容する。

「善」や「正義」が放棄されれば、アイデンティティの定義は書き換えられるからだ。

もし本当にテロリストを含むアフガンに対して「援助」を行っていれば、 「私」はそれまでの「私」でなくなり、テロリストはテロリストでなくなる可能性が開けたかもしれない、ということだ。
テロリストがテロリストでなくなれば、それは最高の「テロ対策」ということになる。



こういう状況が本当に実現するのか。

『いのちの子ども』に戻れば、イスラエル人医師やジャーナリストはパレスチナ人の子どもを救おうと、特に理由もないはずなのに、本気で苦悩し、奔走し、そして喜びや悲しみを分かち合った。

かつて、子どもを殉教者にする、と言ったパレスチナ人の母親は、エルサレムの為なら争うことを辞さないと言った。

しかし、エルサレムの為に、「必死に子を救おうとしてくれた目の前のイスラエル人たちを殺せるか」と問うたらどう反応し、どう答えるだろうか。

示されたのはひとつの希望だったはずだ。

  1. 2012/06/16(土) 07:49:55|
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「詐欺師」に気をつけろ~証券マンの実態~

2011年6月17日、私はある大手証券会社を自主退職しました。

それからもうすぐ丸一年。
悪い意味でも、そして前向きな意味でも、私自身にとっての記念日を迎えます。

私は、自分なりの「お客様第一主義」を実現させたいと思い、会社を辞め、他の生き方を探そうと考えました。裏を返せば、残念ながら以前の環境では、私の願う「お客様第一主義」は実現できない、と思わざるを得なかったということです。

今回は、証券会社の中のほんの一部の営業マンの仕事ぶりを引き合いに、「どうすれば投資業界が今よりも良くなるか」(大袈裟な話ですが)を述べたいと思います。

先に断っておきますが、これから書くこと全ては、証券業界全体もしくは個別の証券会社全体の話ではまったくなく、そういうまっとうな業界・会社の中の限られた一部の証券マンの仕事ぶりについての話です。過度に一般化した話ではなく、私が出会った証券マンのうち「こういう人がいた」という単なる経験上の話ですので、その趣旨の上でお読み頂ければ幸いです。

私は3年間の証券マンとしての経験から、世の中の証券マンの中には「詐欺師」のような愚か者が存在する、と知りました。お客様の利益など何とも思わず、ただ自分の営業実績のことしか考えていない、軽蔑すべき証券マンたちのことです。(もちろん一部の女性も含まれます。)

いきなり結論から述べますが、そういう「詐欺師」たちを反面教師として、私は証券外務員について次のようなルールを徹底させる必要があると断言します。
※ 証券外務員とは、証券会社や銀行などあらゆる金融機関で株式や投資信託の売買等を勧誘する者を指す。

<徹底させるべきルール>
回転売買をゼロに!
適合性違反をゼロに!
説明義務違反をゼロに!


専門用語ばかりで申し訳ないですが、「回転売買」「適合性違反」「説明義務違反」も、すべて不当な行為です。(詳しくは各リンクをご参考に。)

要するに、上記のような不当・違法な行為を繰り返す証券外務員が一部存在していることを、私は会社生活の中で思い知らされたのです。そこで今後、そういう一部の人たちには粛々と金融市場からご退場いただき、上記不当行為を投資業界から一掃すべし、と訴えたいのです。

わかりにくいと思いますので、私の知る先輩証券マンたちの仕事ぶりを参考に、少し事例を紹介してみます。

例えば、あなたがサラリーマン生活40年程を経て、晴れて定年退職したばかりだったとしましょう。
退職金について相談するため、安心感のある大手証券を訪れ、受付に出てきた男性社員と話しています。相手社員の年齢はおそらく30代前半。少し若いですが、自信に満ち溢れた様子でハキハキとしゃべる姿に初対面では好印象を抱きました。

あなた「銀行の金利も低いので、日本の国債にでも投資して少しでも増やせたらいいのですが・・・よくわからなくて」
社員「国債ですか。あんまりおすすめしないですねえ。日本も借金が多いですしねえ」
などなど、今の経済情勢について、時折雑談を交えながら、わかりやすいレクチャーを受けます。先々の見通しでは円安になるという意見が一般常識で、どうやら外国通貨の投信がよく売れているようだ、と話からわかります。

2~30分話した後、社員はおもむろに何かのパンフレットを取り出しました。
社員「これは、グローバル○○○○投信と言いまして。新商品なんですが、今一番お客様に気に入って頂いてるんですよ!」
そう言って、社員はその商品内容を自信満々に説明し始めます。ブラジルの通貨がどうのこうの、どうやら新興国に投資する商品のようです。何とかプレミアムなどなど、専門用語の説明を受けますが、わかったようでわからないというのがあなたの正直なところです。ただ、その商品がすごく儲かりそうだという印象だけは伝わってきます。それに、「投信から出る毎月の分配金がこんなに高い!」と社員が繰り返し強調してきます。

あなた「投信と聞くと、少し怖いイメージがあるのですが・・・大丈夫なんでしょうか?」
社員「大丈夫ですよ!私はこれが良いと思います!絶対とは言っちゃいけないですが、でも絶対上がると思いますね
あなた「そうなんですか!でも新聞などを読むと、たまに専門家の方が『投信は値動きが大きいから注意した方が良い。特に新興国に投資するなんてもってのほかだ』と言うのを目にしますが・・・」
社員「ええ、そういう方もいらっしゃるみたいですけどね。そういう専門家の人たちは自分で投資したことのない人たちばかりですから、投資についてよく知らないんですよ。投資なら我々の方がはるかに詳しいんです
・・・

こういうやり取りを1時間弱。とにかく強気の社員の話に、あなたは少しずつその気になってきます。「少しだったら大丈夫だろう・・・これだけ大手のプロが勧めるんだ。何かあったら、またこの担当さんがアドバイスしてくれるに違いない。信頼できそうな人だし」とあなたは考え、相手社員の勧めるままにその新商品の投信を買ってみることにしました。

社員「ご購入ありがとうございます!それでは、手数料のご説明をさせて頂きますね。まず購入時に3.15%の手数料がかかります」
あなた「え?そんなにかかるんですか・・・」
社員「ええ、そうです。ただ、これはすぐ分配金で取り返せますよ
このように手数料について説明する社員の言葉に、あなたは少し不満を感じながらも、「買う」といった手前しぶしぶ応じます・・・。

口座の開設と購入手続きを終え、たくさんもらったよく分からない用語ばかりの資料を抱えて、あなたは相談カウンターの席を立ちます。
あなた「値動きが大きいと思いますので、何かあったらすぐに教えて下さいね。電話に出られないこともあると思いますが」
社員「毎日値動きをチェックしていますから、ご安心ください。何かあった時は、必ずご連絡させて頂きます」

・・・

しかし、購入後数か月経っても、その担当社員と直に会う機会はおろか、電話で話すことさえ一度もありませんでした。確かに、購入直後1~2度は電話に着信履歴が残っていましたが、その後ぱったりと連絡が途絶えてしまったのです。

そうこうしてるうちに、テレビからはこんなニュースが・・・。
「世界同時株安止まらず。ギリシャ危機再燃」
「円高、5日続伸。一時75円台に」


心配になったあなたは、購入した投信の状況をチェック。すると、その投信の時価が買った時より3割以上下がっているのをはじめて知りました!それで驚いてインターネット等でよくよく調べてみると、「分配金は元本の取り崩しの場合がある」という、聞いてなかった話まで出てくる始末。毎月送られてくる分配金の通知は、いつも同じ金額で安心していたのに・・・。
「こんな状況になるまで一度も話さずに放置するとは!しかもあんなに自信満々な説明で、こんなに下がることがあるなんて一言も聞いてない!」と担当者に怒りを感じたあなたは、購入時に聞いた電話番号に我を忘れて電話をします。

あなた「どういうことなんですか!?ちゃんと連絡をくれると言ったのに、ひどいじゃないですか!!」
社員「申し訳ございません!かくかくしかじかで、このような状況に・・・。」
あなた「最近はネット証券もあるのに、わざわざあなたのところにお願いしたんですよ!高い手数料も払ったのに!!」
社員「本当に申し訳ございません・・・」
平身低頭に謝罪の言葉を繰り返し、「是非一度、直接謝らせてください・・・」と反省した様子で言ってくる担当社員の言葉に、怒りを抑えつつ、会う約束をするあなた。

そして後日、担当社員が訪ねてきてこう言うのです。
「本当に申し訳ありません。そこで、別の商品を持ってきました!この投信に買い換えて損を取り戻しましょう!手数料は4.2%で・・・」


繰り返しますが、以上の事例はごく一部の劣悪な営業員の話です。投資業界全体もしくはどこか特定の会社で働く営業員全員にあてはまる話では、全くありません。(そう信じたいものです。)
上記の事例は、私が仲良くさせて頂いたお客様から教えて頂いた複数の事例等も元に書いたもので、ところどころ内容を変えていますが、主要な部分は実際にあったことです。

「手数料」というのは、証券マンの営業実績になるものです。例えば、手数料が3.15%の投信を1000万円購入した場合、最初に約30万円の手数料を取られます。そして、この「30万円」が証券マンの実績になるわけです。(ちなみに、上記事例で仮に1000万円投信を買ったとしたら、「3割以上」時価が下がったというのは、当然ですが「300万円以上」の損失の状態を意味します・・・。
このようなシステムゆえ、まっとうな証券マンが多い(はずの)会社の中に、「手数料稼ぎ」しか考えない一部の愚かな「詐欺師」が存在する場合があるのです。

そしてこういう一部の「詐欺師」たちが、既に述べた「回転売買」「適合性違反」「説明義務違反」といった違法行為を繰り返すのです。

※ ちなみに、実際に報道されたケースは以下の通り。下記によると、一部には組織的な違法行為も。

コスモ証券が回転売買 証取委、行政処分を勧告
不適切勧誘で初の処分勧告 証券監視委、泉証券(現SMBCフレンド証券)に
デリバティブで賠償命令=野村証券に2億5000万円-大阪地裁


繰り返し断っておきますが、私は証券業界全体とか、ある会社全体とか、すべての証券マンが悪い、と言っているのではありません。ことさらに一般化・全体化して、全てがダメだ、などと言うつもりは一切ありません。一部の愚かな人間のせいで真面目に働いている証券マン全てを否定することなど、そもそも誰にもできません。実際、一部の愚かな「詐欺師」たちは、お客様を裏切るとともに、周囲で働く同僚たちやまっとうな己の会社そのものを裏切っているのですから、第一にその責任は当然その「詐欺師」自身にあります。

ですから、私は「証券業界批判・証券会社批判」をするつもりでは全くなく、「まっとうな己の会社すら裏切って、ひたすら利己的に違法な営業を行う一部の証券マンたちの間違いを正したい」だけなのです。

そして、残念ながらそういう違法な営業をする者たちに対しては、厳しい罰則を科して金融市場から退場させなければならない、と考えているだけです。(つまり、上記の<徹底させるべきルール>をきちんと守るべき、という当然の社会常識を単に確認しているに過ぎず、このような「確認」については当然全ての証券会社さんがご賛同して頂けるものだと存じます。)

ただ正直に言えば、既に書いた通り、私が出会った証券マンのうちにも違法行為を繰り返す「詐欺師」のような者がいたことは事実です。そして、上記の事例のような営業や、もっとひどい違法な営業を目の当たりにしました。それを思い出しただけでも、今でも本当に反吐の出る思いです。

確かに、こうやってお世話になったかつての同僚や会社のことを「一部」でも悪く言うことは、無礼なことだと重々理解しています。しかし、私が誰よりも感謝し、恩を感じている方々は「お客様」の皆様です。お客様の利益を最優先に考えたならば、やはり「そういう愚かな営業員がいた」ということを広く伝えなければならないと思わざるを得ませんし、それゆえに今後は一部の「詐欺行為」に厳罰を科して頂き、証券業界がより一層クリーンでお客様の為になるイメージとなることを願ってやみません。

最後になりますが、このような記事を偉そうに書いている私自身についても、今から振り返ってみれば、自分自身の営業活動がすべてお客様のためになったと断言する自信がありません。退職して会社員生活を振り返るようになったこの1年間で特に、私はいくつかの己の仕事を後悔すべきでないかと考えるようになりました。そしてそのことに、強い罪悪感を感じずにはいられない状態です。

自分自身に嘘をつき、誤魔化した挙句、「お客様の利益のために」と言いながら自己中心的な仕事を一度でもしたんじゃないか。そういう「欺瞞」の生き方をしていたのではないか。
私が会社を辞めたきっかけも、このような疑問を抱いたことにあります。

今となっては、私は私自身の悔やむべき罪を償わなければならない、と日々感じています。

その償いのためにも、「どうすれば投資業界が今よりも良くなるか」、即ち、どうすればお客様がたったの一人も嫌な思いをしないで済むようになるのか、考え続けたいと思っています。

まず第一歩として、
・回転売買をゼロに!
・適合性違反をゼロに!
・説明義務違反をゼロに!

こう声高に訴えてゆくことこそ、「証券マンを辞めた今の私に出来る、あらゆる方々への恩返しになる」。そう私は強く信じています。

そして、この記事を読んで下さった皆様が、世の中の「詐欺師」たちの被害に遭わないよう祈るばかりです。

  1. 2012/06/12(火) 10:20:43|
  2. ファイナンス
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