「FP弁護士」を目指す無職のブログ

法&ファイナンスで独立のライフサポートを行う「FP(ファイナンシャルプランナー)弁護士」を目指しています。

【人生でやりたいこと】(ブログ趣旨)

現時点の、これからやって行きたい仕事・実現したい志です。自己紹介の一環として。(カンタンな経歴は左記プロフご覧下さい。)
主に下記のテーマでブログを書きたいと思ってます。こんなことに興味のある方・何となく気になる方は、ブログ左側のTwitter、メールフォーム等でメッセージお待ちしてま~す。

  1. 1.お客様の現在から老後までの生活を戦略的に考える【ファイナンシャルプランナー業・個人向け】
  2. 2.お客様のあらゆるトラブルを上手に予防・解決する【弁護士業(予定)・個人向け】
  3. 3.民主主義の「アップデート版」をつくる【趣味・社会全体】
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※ これだけでは意味が分からないので、ちょっとずつ詳しくする予定です…。

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[REVIEW]『「当事者」の時代』

 
「当事者」の時代 (光文社新書)「当事者」の時代 (光文社新書)
(2012/03/16)
佐々木 俊尚

商品詳細を見る

VALUE:★★★★☆
★★★★★:最高の一冊=後世に残すべき
★★★★☆:スゴイ=目からウロコ
★★★☆☆:良い=一読の価値あり
★★☆☆☆:無価値=中身無し
★☆☆☆☆:有害=二度と本を書かないでほしい


・「内なる声」から遠ざかる私たち

「内なる声」とは、私が思うに、次のような言葉を指すのではないでしょうか。
例えば、本書に記された、東日本大震災の被災地の河北新報で取材を続ける記者の皆さんの言葉。

・「取材に行く。話を聞く。インタビューして話を聞いていると、そこから何かの物語を考えようとする以前に
 『僕もそうなんですよ』という言葉が先に口を突いて出てしまう」
・「被災者が語る希望を、自分のものにしていきたい。そう記者たちは求めている。
 自分も希望がほしい、だから取材して記事を書くんだってこと」


記者の皆さんの今のお気持ちは、私のような者には推し量るに余りあるものがありますが、
少なくともこれらの言葉が、内から自然と湧き出る、揺るぎない勇気と意志から生まれたものだと感服致します。
このように、誰にも指図されなくとも自ら求め、自然に「心から成し遂げたい」と偽りなく思う感情が「内なる声」の一つと言えるのだと思います。

一方で、本書の第1章で論じられている、「夜回り」と「記者会見」。
まず記者会見は、中身の無い「儀式」にすぎません。
そして、夜回り。こちらの実態を本書で初めて知り、まさに「目からウロコ」でした。

夜回りとは、例えば警察幹部と記者個人との特定の人間関係をつなぐ「情報の流れ」、と説明されています。
実は、記者会見はほんの見せかけに過ぎず、夜回りこそがマスメディアを支える基底となっている、ということです。
この夜回りゆえ、個々の記者がそれぞれ必死に仕事すると、個々人にそのつもりは一切なくとも、
“結果的に”マスコミ全体が権力のインサイダー“に見える”、ということが非常に明確に示されています。

さらに夜回りについて詳しく読み進めると、次のような興味深い事実が記されています。そのまま引用します。

・誰と誰がつながるのかというその個人のキャラクターを超えてしまって、「つながっている」という関係性だけが濃縮され、抽出されている
「関係性」が極度に先鋭化された世界なのである

これはおそらく、こういうことです。

例えば、警察幹部A1と大手マスコミ記者B1がつながっている。
ある日、マスコミ記者の配置替えで、B1がB2に代わる。
その後、何事もなかったかのように、警察幹部A1と記者B2がつながり続ける。
またある日、警察幹部が配置替えで、A1がA2に代わる。
すると、またしても何事もなかったかのように、警察幹部A2と記者B2がつながり続ける。
さらにある日、マスコミ記者のB2がB3に代わる・・・(以下、繰り返し)


これは、もはや普通の人間関係といえないのではないでしょうか。
最初のA1とB1の人間関係が、そっくりそのまま全く別人のA2とB2との間にも成立するなどということは、
我々が日常、仲の良い友人等との間で保つ人間関係の上では考えられないことです。

私は、このような「記者会見」と「夜回り」について、次のように感じました。
「こんな仕事は誰でも出来る (仕事に対する“必死さ”さえあれば) 」
つまり、やるべき手順はあらかじめ決まっているため、その作業は、極端に言えば「ロボット」のように機械的に出来る、
人間の「取り替え可能」なシステムに基づいている、という意味です。

そこに人間としての真のオリジナリティが介する余地はありません。
そしてこれは、「マスコミ社内の激しいポジション争い」や、取材コストを低くしながらの「特ダネ競争」等と非常に整合的なシステムでもあります。
(付け加えるならば、このような「取り替え可能」なシステムは、実は日本の至る所に遍在している気がします。)

このように「誰でも出来る」という意味で、大手マスコミ記者は、「河北新報」の記者の皆さんの姿勢とは全くの正反対であることがわかります。

「当事者としての自分」にしか出来ない仕事をしようとする河北新報の記者の皆さん。
「取り替え可能」なポジションを死守し、何よりも「関係性」を優先させる大手マスコミ記者たち。

明白すぎるこの両者の「当事者性」の差を根拠として、著者は<あらたな格差の世界の幕開け>を見出しています。

そして、この<あらたな格差>は、当然のごとくソーシャルメディアに巻き込まれる我々すべてを対象とし始めているのです。


・“私は「無辜の市民」である!”と絶叫する私たち

もう一つ、本書で重要なのは、言うまでもないですが、<マイノリティ憑依>という概念です。また引用させて頂きます。

・マイノリティ視線は思いも寄らない副作用をもたらした
・ただひたすら、人を<加害者>として断罪しつづけても構わないという無残な論理
・弱者が転じて神のようなものとなる。マイノリティの視点を身につけた者こそが、神の視点を持つ
・このきわめて巧妙な構造によって、苦悩する当事者たる活動家たちは一瞬にして第三者へと変身し、高みへと昇りつめ、日本社会を見下ろすことができるようになる
・被害者ではない人たちを全員、加害者の側に押しやれてしまう


詳細は是非お読み頂きたいのですが、本書では幻想の「市民」はどこからやってきたのかと問題提起をされたのち、
戦後から現在までの「言論史」と呼べるような詳細な分析をされていらっしゃいます。

この「言論史」の出発点は、「自分たちはいったい何者なんだ?」という自己への問いかけです。
そして、「自分たちはいったい何者なんだ?」ということがわからないゆえに、
「自分は社会とどう向き合えばいいのか?」いつまで経ってもわからない。
その苦しみから逃れようとするために、その答えを必死に探そうとする、そういう歴史なのだと思います。

しかし残念ながら、この必死の試みは、その目標を全うすることがありませんでした。
むしろ、1970年から<マイノリティ憑依>という病変が日本社会に蔓延するようになり、本書で述べられているように、
「その後、二十年をかけてマスメディアのみならず日本社会の根底を規定するメディア空間の基調となった」のです。

これは一体なぜなのでしょうか?

本書では、「日本の伝統的な宗教心」が要因の一つとされています。
例として述べられている奈良・檜原神社。ここは、「ご神体も本殿も拝殿も、建物は何もない」場所なのだそうです。
何もない理由は、そこが何かを礼拝するためではなく、その「静謐な空間」そのものを礼拝するための場所だからです。
そして、本書では次のように続けられています。

この何もない空間、空白こそが、「絶対」にほかならない。
この「絶対」は、空白であるがゆえに傷つけられず、汚されることもない。

これを読んで、私は内田樹さんのベストセラー、『日本辺境論』(本書の参考文献の一つとなっています)と似たことかな、と思いました。
例えば、『日本辺境論』の次のような一節。

私たちは国家的危機に際会したときに、「私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という問いに立ち帰りません。私たちの国は理念に基づいて作られたものではないからです。私たちには立ち帰るべき初期設定がないのです。


「空白を信仰する古代日本」「理念なき国」・・・このような中身の無さ。
現代、「夜回り」記者の皆さんが「関係性」を最優先する、その取り替え可能な「立ち位置」<マイノリティ憑依>に通じるものがある、と言えば誤読でしょうか?

「我々が到達すべき究極は、空白である」、もしかしたらそのような意識が我々の中に深く根付いているのかもしれません。
しかし、空白などというものが今後、我々を救うことが出来るのか?これは大いに疑問ですね。

・私自身の個人的な話

本書の主題は「当事者」ですので、最後は私自身の個人的な話を少しだけ。

私は、去年の半ば頃まで証券会社でセールスをしておりました。
本書の貴重なお話を、無理やり自分に引き付けて申し上げられることは2つです。

ひとつは、私のやっていた証券セールスという仕事も、「夜回り」記者さんとの共通点が非常に多いということ。
「忙しさ」「熾烈なポジション争い」もそうですし、転勤族なので「関係性」の共同体もまさにドンピシャでした。

もうひとつは、「内なる声」に従って、私は証券会社を自主退職したということ。
その内なる声とは、「今の組織では顧客第一は実現できない。ならば、自分でやってみよう」という気持ち。
もちろんその成否はまったくもって不確定ですが、それでも「内なる声」に従いたくなった、ということです。
(付言すべきことは、「今の組織では顧客第一は実現できない」という私自身の言葉の内には、
組織から外れた「被害者」的なものと、かつて組織の一員だった「加害者」的なものが含まれていそうだ、ということです。)

本書の中で、私が好きな言葉が2つあります。
「そう、あなたはあなたでやるしかないのだ」
「それでも闘いつづけるしかない」


「当事者である」ということは、“私にとっては”こういうことなのかな、とふらふらしながらやっているところです。


・追記
「当事者」とは一体どういうものなのか、まだ私自身よくわかっていないところがありますが、
ずっと考えたり調べたりしていたら、以下のような言論とリンクするような気がしました。

内田樹さんの「機」の思想。(『日本辺境論』)
安冨歩さんの魂の脱植民地化。(『原発危機と「東大話法」』)
大澤真幸さんが著作の中で紹介された、寓話「癒す人」について述べられた言論。(『「正義」を考える』)

誤読・勘違いかもしれません。一度、自分の中でゆっくりその関係を吟味したい宿題です。

しかしまあ、見る人によっては気持ち悪いくらいに、本書にこだわってしまった気が致します(笑)。
おそらく、本書で取り上げられているテーマが、単に今の私自身にとって非常に重要かつ現在的な問題だった
ということに尽きるのだと思います。
ですから、個人的にどうしても整理をしておきたかった、それだけの「独りよがり」のものであることをお許し下さい。

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  1. 2012/03/19(月) 20:42:25|
  2. Book/REVIEW
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<3.11以前>において、我々が原発を否定する為に必要だったモノ

前回の記事、「Twitterが劣悪な言論を生む」のなかで、
「反橋下市長派」のある方のツイートを紹介し、その問題点を私見として以下のように述べました。

「反橋下派」・著名人Sさんのツイートにおける問題点
根拠や理由(プラスそれらを裏付ける事実・データ・証拠)を明示せず、「決めつけ」た主張で他人の名誉を害している
・その主張を恫喝とともに行う事で、自らの主張を他人に押し付け、意見の違う者を侮辱する効果を(結果的に)生む

具体的な効果は以下の通り。
・フォロワーや読み手が軽蔑されまいと、闇雲にSさんの偏った主張に迎合的な態度を取る(大衆扇動)
・フォロワーや読み手が面倒に巻き込まれまいと、各自の主張を止めたり隠したりする(言論の抑圧)

・このように振る舞う事によって「公共の場」の言論を歪めたものにする


そして結論として、
「Twitter含めインターネットを、有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間にして欲しい」
と申し上げました。

この有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間とは、イメージとしては以下のようなものです。

・ある程度の根拠が伴った、わかりやすくて有益な情報に溢れている
発話者が根拠・証拠・データ・事実を明示しつつ、論理的に自身の主張を述べる
・情報・主張の聞き手や受け手が、論理的・合理的思考を基に、各情報の真偽や各主張の優劣を判断する
・このようにして各自の意思を形成し、その意思を適切な政治行動に移す習慣を皆がもっている


私は、この「有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間」が今の日本のどこにも無いと考えていて、
かつ、そのようなソーシャル空間を創ることが絶対に必要だ、とも考えています。

必要だと思ったきっかけは、こうです。

例えば、<3.11以前>において、我々が原発を否定するにはどうすれば良かったのか」
この問いに対する答えを考えてみます。

注をつけておかねばなりませんが、この問いに対して、私は以下のような<前提>に立ちつつ考えています。

合理的な意思決定が真の意味で行われたならば、我々は当然すべての原発を廃炉にすべきと判断できたはずである。

<その理由>
万が一の原発事故の際、被害がどこまで拡大するか究極的にはわからない、と我々が知ることが出来たと考えるから。


私は、「福島第一原発事故」という凄惨な現実を見据えたならば、
<3.11以前>において正しかったのは「反原発派」の意見だった、と結論付けるべきだと考えます。
いくら「原発推進派」の主張が論理的だったと誰かが言ったとしても、現実に起こってはならない重大事故が起こってしまった今となっては、
この現実を証拠として、<3.11以前>においては「反原発派」が明らかに正しかった、と思えるのです。

このような前提に立った場合、
「<3.11以前>において、我々が原発を否定するにはどうすれば良かったのか」
という問いに対して、
「我々が有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間を有してさえいれば、合理的な意思決定の結果、原発を否定することが出来た」
という答えを導くことが出来ると考えます。
(ですから、この記事はあくまで上記<前提>に拠った意見に過ぎないと明記しておきます。)

しかし、残念ながら我々は、かつて一度もそのような「ソーシャル空間」を持った経験が無いんじゃないでしょうか。
<3.11>以前、我々の大多数(サイレントマジョリティ)が原発について真剣に考えたことが一度でもあったでしょうか。
我々の大多数が国民の一人として原発を明確に是認または否認することなく、どこかのだれかに「丸投げ」する無責任さ
少なからず有していたとは言えないでしょうか。

そして、今後我々がそのような「ソーシャル空間」を持たない限り、
「福島第一原発事故」のような重大かつ凄惨な失敗を我々が繰り返すおそれがある、と言えるのではないでしょうか。

そこで提言したいのは、有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間を創る努力を始めましょう、という事です。
つまり、「<3.11以前>において、我々が反原発派の方々の意見を聴き、原発を止める」という決断をするために
過去必要だったと思えるモノを、今から創りましょう!というお話です。

これを創るには、第一に以下のような複数のインフラ整備が必要不可欠ではないでしょうか。

①マスメディア改革
今に続くマスメディアの寡占カルテル体制を破壊し、新しい多様なメディアの成立可能性を担保する
例えば、ニコニコ動画のようなメディアがもっと多数、いつでも新規参入できるようにすること
→言論・主張すべての公平・公正な<場>を確保する

②適正かつ徹底的な情報公開制度(勿論プライバシー侵害の無いような制度)
今回の政府・東電の情報隠ぺいに類する行為を禁止する

③アカデミズムの改革
「原子力ムラ」やそれに類する仕組みの改革
御用学者を淘汰する

④司法改革
フェアな司法の実現

⑤教育改革
まずディベートの仕方から教えるような、「民度」を根付かせるための教育を行う

⑥そして、我々自身に「民度」を根付かせるような“意識改革”を迫る制度を創る
(例)ワークショップ&諮問型国民投票システム
現在では、原発投票制度が有名です。
これは、原発投票を行う前に、その判断のベースとなるワークショップ(双方向的な学びの場)を継続して開催するものです。
それによって国民自身が適切な議論・適切な学びをし、各自の合理的な政治意思を形成する習慣を根付かせる試みです。


実現性を考えると、確かに途方もない「全方位的改革」です。
しかし、出来るところから一つずつ、地道に変えていくことこそが、
「未曾有の人災を日本で二度と引き起こさないようにする」解決策につながるのではないでしょうか。

けれども、こうした「インフラ整備」だけでは全く不十分だとも思います。

日々究極的に試されているのは、言うまでもないかもしれませんが、
「我々自身が日本をどのような国にするのか」と考え実行する、良識ある民主的姿勢です。

その民主的姿勢に、前回の記事で触れたSさんのようなツイートや振る舞いは一切不要、否、もはや有害です。

日本に有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間が必要。
そして、日本に「真の民主主義」が必要。

「どう変えていくのか」という問いにはすぐに答えられませんが、「未曾有の人災を日本で二度と引き起こさないようにする」ためには、
私は、真の民主主義を創り上げるという「信念」だけは何としても持つべきだと思います。

  1. 2012/03/11(日) 19:33:37|
  2. シチズンシップ
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Twitterが劣悪な言論を生む

数週間前、発覚した「大阪・橋下市長の職員アンケート問題」に関して、
2月11日、著名人のSさん(現在フォロワー1万人以上)が以下のようなツイートをしていらっしゃいました。

大阪市職員への強制アンケートの原文を読んで戦慄した。これは尋常じゃない…。マッカーシーの赤狩りと同じ。背筋が凍る。これを読んでも橋下徹を支持する人を僕は軽蔑する。気持ち悪くなること必死だけど必読です。http://bit.ly/wN5zcC(原文ママ)


このツイートを目にして、私は非常に驚きました。
Sさんは、彼の本職で優れた功績を残され、社会的に非常に評価されている方なのですが、
そんな方でさえ、このような冷静さを欠く物の言い方をすることに、愕然としたのです。

「職員アンケート問題」に関しては、
皆さん、多様な意見がおありだと思いますし、法の専門家の間でも評価の分かれる問題ですので、
この稿で取り上げることは避けます。


ここでアンケート問題よりも論じたいのは、
「Sさんのそれのような、劣悪なツイートが世の中で一定の支持を得ている状況こそ恐ろしい
という事なのです。

具体的に、Sさんの上記ツイートに関しては、パッと見ても二つの疑問点があります。

まず、①「マッカーシーの赤狩りと同じ。」と断定している点。
確かに、橋下市長のアンケートには憲法違反の「懸念」があります。
「懸念」があるという点、よく調査・議論しなければならないという点についてならば、
おそらく大多数が同意すると予測できます。

しかし、専門家でも評価の分かれるアンケートをなぜ「赤狩り」と断定できるのか、不明なのです。
しかも「アンケートのどの点が過去の赤狩りと共通しているのか」という根拠を一切示していません。
Sさんのブログ・ツイートなどを拝見しても、厳密に検証すらしてないのではないか(少なくとも
ツイートした2月11日時点において)、と感じます。
(ここで言われている「赤狩り」とは実際には何なのか、少し後に解説致します。)

さらに検討を加えれば、
上記ツイートは一政治家(=橋下市長)に対する、刑法の「名誉毀損罪」に該当する可能性さえあります。

(名誉毀損)
第230条① 公然と事実を適示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、
         三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。


もちろん政治家に対する報道・批判の事実適示は日常多くのマスコミがするものですし、
「表現の自由」は最大限尊重されなければならないものですので、
法は、「真実性の証明」があれば処罰することはないと規定しています。以下がその条文です。

(公共の利害に関する場合の特例)
第230条の2① 前条(=第230条)第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が
           専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの
           証明があったときは、これを罰しない。
     同条③ 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、
           事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。


しかしこれだけでは、「真実性の証明」に失敗したら、常に処罰されることになりかねません。
そこでこれに関して、さらに以下の「最高裁判例」が基準を明示しています。

最高裁判所第一小法廷・決定(平成22年3月15日)
「インターネットの個人利用者による表現行為の場合においても、他の場合と同様に、行為者が適示した事実を
真実であると誤信したことにつき、確実な資料、根拠に照らし相当な理由があったかどうかを慎重に審理検討したうえ
刑法230条の2第1項の免責があるかどうかを判断すべき」


「確実な資料、根拠」。これが大事なのです。
つまり、真実なのだと「誤信」してしまっても、保護されることがあるということですね。

確実な資料、根拠あり→表現の自由の正当な行使とみなされる
確実な資料、根拠なし→「名誉毀損罪」に該当!違法行為として処罰される


私は、インターネットという言論空間で、
なぜ確実な資料・根拠もない「名誉毀損」が至る所で繰り返されているのか、
なぜそれが間違ったことだと指摘もされず、改善して行かないのか、
疑問に思うのです。


もう一つ、②「これを読んでも橋下徹を支持する人を僕は軽蔑する。」と、
世の中の橋下市長の支持者、即ち「(特定の)国民・市民」を誹謗中傷している点。
アンケートに関して批判するならまだしも、(特定の)国民・市民に対して、
その政策の違法性の根拠を説得的に論証することなく、むしろ「軽蔑する」と断じることこそ尋常ではありません。

②については、さらに次のような問題点があります。
Twitterは、ウェブ上で誰もが自由に発言を行うことのできる「公共の場」です。
その「公共の場」で、橋下市長の政策を批判するならともかく、
橋下市長の支持者たる国民・市民を侮蔑するということは、
Sさんのツイートを見たフォロワーや読み手たちに対して、
事実上、「お前ら、橋下シンパじゃないよな!?そんなヤツがいたら見下してやる!」
「恫喝」していることにもなります(自覚の有無は不明ですが)。

これは、「思想信条の自由」「表現の自由」に対するれっきとした「攻撃」です。
「確実な資料、根拠」に基づく、生産的・建設的な反論や批判とは全く異なります。
(上記ツイートが明らかに正しいと思えるような理由・根拠が示されていれば別ですが、
 アンケートの件は法の専門家でも評価の分かれる問題であり、ツイートの時点はおろか現時点でも、
 容易に「決めつけ」られるものではありません。無根拠の「誹謗中傷」の域を出ないものです。)

そして、このような「攻撃」の効果は、以下のようなものになるでしょう。

・フォロワーや読み手が軽蔑されまいと、闇雲にSさんの偏った主張に迎合的な態度を取る(大衆扇動)
・フォロワーや読み手が面倒に巻き込まれまいと、各自の主張を止めたり隠したりする(言論の抑圧)


よって、Sさんの上記ツイートについて私の考える問題点はこうです。

根拠や理由(プラスそれらを裏付ける事実・データ・証拠)を明示せず、「決めつけ」た主張で他人の名誉を害している
・その主張を恫喝とともに行う事で、自らの主張を他人に押し付け、意見の違う者を侮辱する効果を(結果的に)生む
・このように振る舞う事によって「公共の場」の言論を歪めたものにする


ここまでの議論を前提とすると、とても不思議なことが分かるように、私には思います。
「大衆扇動」も「(特定の)言論の抑圧」も、まさに橋下市長に対する批判の一要素だからです。

断っておきますが、私は橋下市長の肩を持つ気はさらさらありません。
むしろ市長のやり方は、「劣悪なポピュリズム」に類するとさえ考えています。

ここで申し上げたいのは、橋下市長と同じくらい、
実はSさんはじめ「反橋下派」のツイートや言動には、劣悪な「大衆扇動」の効果が伴っている、
という事。
これが私の結論なのです。

では、もう少し、参考としてSさんの他のツイートも例に挙げてみます。

「あなたは組合の酷さを知らない。それを正常化するためには荒療治が必要だ」という人も多い。しかし日本は人ではなく法が支配する法治国家。組合に問題があるなら、あくまで合法的に対処すべきである。その原則を軽視したとき、法ではなく人が社会を支配し始める。つまり橋下徹である。


法ではなく人(=橋下徹)による支配。実は橋下徹のねらいは、よりよい社会を作ることなどではなく、そこにこそあるのだということを、今回の強制アンケートのやり方で確信した。人々の現状に対する不満や憤りを利用して、日本の支配者になることを狙っている。それがこの一連の事態の本質である。


「橋下徹はよりよい社会を目指すしているのではない。日本の支配者になることを狙っている」などと書くと、荒唐無稽に聞こえると思う。僕も書きながら思ったくらいである。しかし、その荒唐無稽なことが今、実際に起きようとしている。火が大阪にあるうちに消しておかないと、日本中が大火事になる。


僕が今回の事件をとりわけ重大視しているのは、「社会悪の膿を出し切るためには、人権侵害もやむを得ない」という橋下徹による宣言に、大手マスコミと少なからぬ国民が同意しているようにみえるからである。その合意から魔女狩りや強制収容所への道のりは、人々が想像するよりもずっと短い。


僕が橋下徹をヒトラー等に喩えるのを大げさだと指摘する声も聞く。たかが一地方自治体の労組弾圧じゃないかという人もいる。しかし、一本のマッチの火でも、燃え移ることを妨げなければ、巨大な都市をも焼き尽くす。焼け野原になってから気づくのでは遅い。


このツイート群のどこに、「確実な資料、根拠」が伺えるでしょうか?
私には立派な「誹謗中傷」にしか見えません。

しかし、これはSさんだけがやっていることでは全くなく、
むしろそこら中で多数の人間が類似の劣悪な発言・ツイートを繰り返しているのです。
(場合によっては、処罰されることさえあり得る行為なのに、です。)


ここで冒頭に戻って「赤狩り」とは本来何なのか、確認することが有意義だと思いますので、
少しばかり述べさせて頂きます。
わざわざ長々と確認するのには、理由があります。
私が申し上げたい結論を先に言えば、次のようになります。

橋下市長を痛烈に誹謗中傷する反橋下派たちの言動に、同じく「赤狩り」との類似点が見出せる
(もちろん自覚の有無は不明)


「赤狩り」のあらましを確認することで、この上記の命題を論証したいのです。

赤狩り(あかがり、英: red scare)とは、政府が国内の共産党員およびその同調者を、公職を代表とする職などから追放し、社会的地位を貶めること。第二次世界大戦後の冷戦を背景に、主にアメリカの影響が強い西側諸国で行われた。                                                                                   (Wikipediaより)


「赤狩り」は主に米国において、「共産主義者の追放」を大義名分として行われました。

同じく「マッカーシズム」について、参考程度にWikipediaにはこう記述があります。

マッカーシズムは、第二次世界大戦後の冷戦初期、1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除の動きを指す。


共産党シンパ“とみられる”人々、これがポイントです。
人間を外見から判断しても、その人が共産主義者であるかどうかなど、当たり前ですがわかりません。
心の中は見通せないからです。

そこで行われたことは、「疑わしきは罰してしまえ」という恐るべき処罰の繰り返しでした。
マッカーシーらに「共産主義者」や「ソ連のスパイ」、もしくは「その同調者」だと糾弾されたのは、
政府関係者や陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家、さらにはカナダ人や
イギリス人、日本人などの外国人にまで及びます。

また、当時ハリウッドで売られた『レッドチャンネル』という本では、共産党のシンパと思われる人物の名前が、
本人に確認・反論する機会も与えないままに、勝手にリスト化されていました。
当然、この本に名前が載ることは、そのまま業界から追放されることを意味していたのです。
(他にも、この件では「ハリウッド・テン」のメンバーが有名です。)

さらに信じ難いことですが、末期には政界の権力闘争において政敵を蹴落とすために用いる「謀略」として、
これらの手法が使われるようになりました。
真偽はさておき「奴は赤だ!」と断ずれば、それだけで政敵に選挙で勝てたのです。

このように見れば、「赤狩り」の問題点は次のように言えます。

何らの確実な証拠(資料・根拠)も明示せず、「決めつけ」「レッテル貼り」によって、
人を社会的に追放し、または社会的地位をはく奪し、さらには刑罰を科すことすら容認する。
そうすることによって、思想信条の自由・表現の自由はもとより、
個人の尊厳そのものを踏みにじり、重大な人権侵害をもたらす。
また、表現の自由を侵害することによって、民主主義のプロセスを破壊し、
人権侵害の危険を生じさせる、恣意的・反合理的な意思決定を容認する環境を生む。


繰り返し断りを入れますが、私は橋下市長を持ち上げるつもりは毛頭ありません。
むしろ橋下市長に対しても、人権への配慮の足りなさや大衆扇動の疑いを拭い去ることはできない、
と私が考えている事をはっきりと明示しておきます。


しかし、だからといって、「あいつは悪の疑いがある」ということだけで物事を判断し、
「公共の場」で確実な資料、根拠も示さず、他人の名誉を傷つける行為、
そして、言論に触れる多くの周囲の人間たちを「恫喝」「攻撃」するような行為を、
私は決して容認することが出来ません。


Sさんのツイート、そしてそれに類する多数の者が繰り返す類似の劣悪なツイートには、
「赤狩り」の問題点を彷彿とさせる「決めつけ」「レッテル貼り」が頻繁に登場します。

言ってみれば、各人が「(規模の小さい)赤狩り」を至る所でやっている、と言っても過言ではありません。
(無自覚に、と付け加えた方がいいかもしれませんが。)

私は、上記ツイートのようなものが「公共の場」の言論を歪めることの方が、
我々にとってはるかに有害である、と考えます。
橋下政治にも問題点はありますが、“優先順位”からして低いのです。

(A)「公共の場」の言論が歪められ、民主主義のプロセスが破壊されること(=民主主義で是正不可
(B)現時点での橋下政治に関する問題点・疑わしい点(=民主主義で是正可能)


(A)の方が、(B)よりもはるかに深刻な被害をもたらす。


当然ですが、悪い政治家を追い落とすことさえ、我々は民主主義のプロセスに則らなければなりません。
たとえどんな正当な目的があろうと、他人の思想信条の自由・表現の自由、そして民主主義のプロセスを破壊することは、
誰にも許されないのです。

(これを許す事こそ、我々がファシズムの入口に立ってしまうことを意味します。)

もう一つ、断りを入れておきますが、
私はSさんを含めた、ある特定のだれかの「人格」を攻撃するつもりは一切ありません。
個人的に言えば、Sさんの本職の実績に対して、私は心から素晴らしいと思っていますし、
大変尊敬しています。
そしてさらに直感では、おそらく上記のような「劣悪なツイート」も、
Sさんの熱意ある「危機感」から生まれる、善意のなせる行動であると推測しております。

しかし、たとえ善意から生まれたとしても、単なる誹謗中傷のような“劣悪な言論”を看過するわけには行きません。
(はからずも、「問題があるなら、あくまで合法的に対処すべき」とSさんも上で引用したツイートの中でおっしゃっています。)
むしろ「善意」や「信念」から生まれた言動の方が、かえって(予期せぬ)厄介な事態に陥る結果に至るということも、十分想定されるのです。
(まさに歪んだ「信念」を持ったヒトラーのように。)

私は、「橋下市長」も「反橋下派」も、どの特定の個人も攻撃するつもりはありません。
ただ、「マッカーシズム」や「(規模の小さい)赤狩り」を叩き潰したいのです。

Sさん含め、本当に何かを主張し、社会を良くしていきたいとのお気持ちがある方ならば、
せめて「決めつけ」は止め、「根拠」の伴う有意義な言論を発信して頂きたいだけです。

なぜなら、Sさんのツイートを借りて申し上げれば、
“劣悪な言論”から「魔女狩りや強制収容所への道のりは、人々が想像するよりもずっと短い」からです。

そして願わくば、Twitter含めインターネットを、有益な情報や言論の溢れるソーシャル空間にして欲しいと望みます。

<主要参考リンク>
・みやきち日記「マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ」
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20120117/p1
・マッカーシズムと赤狩り http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/red-purge.htm

  1. 2012/03/06(火) 10:43:31|
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本日、Googleの新プライバシーポリシーが発効されます。

本日3月1日に実施されるGoogleのプライバシーポリシー(個人情報保護方針)の変更が、
大量の個人情報の濫用につながる恐れがあると懸念されています。

実は、我々がGoogleのサービスを利用するその度ごとに、
利用したサービスやその利用方法に関する情報が自動的にGoogleに収集・保存されるようになっています。


結論としては、そうして収集・保存された大量の情報が、
外部の組織・企業・個人(例えば米国政府など)に利用される危険性がある
、という問題です。


・どのような個人情報がGoogleによって収集されているのか
・その自動的に収集された個人情報が、外部の第三者に共有されることがあるのか

この2点をしっかり確認しておかなければ、
各自のプライバシー情報が勝手に誰かに見られたり、使われたりする可能性がある、ということです。


一例として、問題となっている実際のプライバシーポリシーには、以下のような記述があります。

まず、「どんな情報が収集される可能性があるのか」。

<引用> 

サービスのご利用時に Google が収集する情報

・ログ情報

お客様が Google サービスをご利用になる際または Google が提供するコンテンツを表示される際に、サーバー ログ内の特定の情報が自動的に収集および保存されます。これには以下の情報が含まれることがあります:

・お客様による Google サービスの使用状況の詳細(検索キーワードなど)

・電話のログ情報(お客様の電話番号、通話の相手方の電話番号、転送先の電話番号、通話の日時、通話時間、SMS ルーティング情報、通話の種類など)

・インターネット プロトコル アドレス

・端末のイベント情報(クラッシュ、システム アクティビティ、ハードウェアの設定、ブラウザの種類、ブラウザの言語、お客様によるリクエストの日時、参照 URL など)

・お客様のブラウザまたはお客様の Google アカウントを特定できる Cookie



収集・保存される個人情報の一部に、
「一人ひとりがどんなキーワードを検索したか」
「どこの誰と通話したか」

が含まれているという事ですね。

しかも、これらは収集情報のほんの一部です。


次に、「その収集情報が外部の第三者に共有される可能性」。

<引用>

Google による情報の共有

法律上の理由の場合

Google は、個人情報に対するアクセス、利用、保存、または開示が以下の理由で合理的に必要だと誠意を持って判断した場合、その情報を Google 以外の企業、組織、または個人と共有します:

・該当する法律、規制、法的手続または強制執行可能な行政機関の要請に応じるため。




つまり、「法律の制定とその適用に基づく要請があれば、Googleが収集・保存した大量の情報を外部と共有する」
ことを可能にするプライバシーポリシーとなっている、という問題です。

例えば、電話のログ情報(電話の相手・通話記録など)も外部に筒抜けになるかもしれない、という事ですね。

では、そのような人権侵害の危険性の高い法律が米国で制定される可能性があるのか?

9.11事件以降、2001年10月26日に「米国愛国者法」という法律が制定されました。

法律の一部は以下の通りです。

・連邦捜査局に対し令状抜きで電話、電子メール及び信書、金融取引の記録を利用することを拡大して認めている
図書館の帯出記録や所得情報を含めて司法当局が調査できる
                                                          (Wikipediaより)


今後、仮に米国で「愛国者法」よりもひどい法律が制定され、
その法律で「政府関係者は、Googleの収集した大量の個人情報に自由にアクセスすることが出来る」などと
明文化されてしまえば、
法律上、誰もその人権侵害行為を止めることはできない、ということになります。


これが現実化すれば、
最近、非常に問題になっている「大阪・橋下市長の職員アンケート問題」と比較にもならない、
良心の自由・思想信条の自由等、あらゆる人権に対する最高度の侵害行為が許されてしまう、とも言えます。


もし本当に「巨大IT企業」「国家権力の暴走」が結びついたら・・・
想像すると、これほど恐ろしいものはないですね^^;

元ネタ:videonews.com「グーグルのプライバシーポリシー変更は大問題」

  1. 2012/03/01(木) 16:21:34|
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